会議で、最も論理的な意見が出た。
データも、根拠も、揃っている。
なのに、なぜか「決断」ができなかった。
そんな瞬間が、誰にでもあるはずです。
私たちは、論理的に判断できていると思い込みやすい生き物です。
正しく考えれば、正しい選択ができるはずだと。
けれども、実際にはちゃんと考えたはずなのに決めきれない瞬間や、モヤモヤと迷いが後に残ることもあります。
重要な場面では、個人的な感情を排除して冷静に判断することが正しいとされがちです。
特に仕事においては、感情に左右されることは未熟な証であるかのように扱われることもあります。
「感情を排除し、事実に基づいて論理的に判断するべきだ」というメッセージを、目にしたこともある人も多いと思います。
だが、本当にそうなんでしょうか。
何かを「いい」と感じること。
どこかに違和感を覚えること。
そのような感覚がなければ、選択肢すら見つけることすらできないのかもしれません。
実際に神経科学の分野では、人は感情がなければ判断すらできないと示されています。
判断することは、情報を整理することではありません。
「どちらを選ぶかを決めること」です。
そしてその最終的な決断は、論理だけでは完結しません。
なぜなら、論理は「説明」はできても、「決めること」はしてくれないからです。
私たちは最後の一歩を、必ずどこかの感覚に委ねています。その感覚こそが、感情です。
値段も性能も劣るほうを、なぜか選んでしまった。
もう使っていないのに、手放せないものがある。
理由をうまく説明できないまま、惹かれてしまう選択肢がある。
そうした瞬間は、感情が大きく判断に関わっている証拠です。
それにもかかわらず、私たちはそれを「曖昧なもの」として扱い、切り捨ててしまうことがあります。
感情は不確かなものではありません。
これまでの経験や価値観が凝縮された、ひとつの“反応”でもあります。
重要なファクターである感情を切り捨てることで、判断を間違えてしまうことだってあるのです。
感情を排除しようとするほど、判断はどこかで止まります。
逆に、感情をそのまま信じすぎても、視野はどんどん狭くなり、最適な答えが見えなくなっていきます。
必要なのは、感情に寄ることでも、感情を消すことでもない。
自分の「感情が動いていると気づく」ことなのかもしれません。
正しく考えること。納得して決めること。
このふたつは、少し違います。
あなたは、どうやって決断をしていますか?