違和感があるのに言葉で表現できない。そんな経験ありませんか?
「どうしたい?と聞かれても、言葉に詰まってしまう」
「スムーズな会議の後になぜか違和感が残る」
そんな言葉にできないひっかかりを感じる場面は、きっと誰にでもある。
自分の考えがないわけではない。ただ、「些細な違和感」を感じている。
それがなぜか分からない。
もしかすると、言葉にも満たない、あなたの知識の蕾の可能性があります。
人は多くのことを暗黙知によって判断しながら生きている、と言われています。つまり、私たちは自分が語れる以上のことを知っている。
だから、その答えを出せない瞬間には、深い意味が隠れているかもしれない。
現代社会では、情報があふれ、生産性が求められる。違和感に向き合うよりも、先に言葉にすることが優先される。
社会を生き抜くには、それが最適な振る舞いのように思い込んでしまう。
しかし、それでは思い込みやその場の流れによって、本当は大切な何かを、都合よく切り捨ててしまっているのかもしれません。
些細な違和感は、過去の経験が積み重なって生まれる、いわば暗黙知からのアラートとも言えます。
ただ、この暗黙知は、いつも正しいとは限りません。
個人の判断を助ける一方で、先入観や思い込みを生み出すこともあります。
固定観念が思わぬ事故やすれ違いにつながった、という話も少なくありません。
つまり、信じるべき情報と、疑うべき情報は、同じ暗黙知という場所から、同じような顔をして生まれてくるのです。
時に、声の大きい理屈や過大な数字は、この「些細な違和感」を簡単にかき消してしまう。
眼の前で繰り出された、魅力的なビジュアルやトーンによって本質を見失いそうになる。
そんな時、過去の経験が圧縮された直感によって、静かなアラートが発せられることがある。
だから、すべての違和感を無条件に信じるわけにはいきません。
けれど、すべてを「気のせい」として切り捨ててしまうのも、また違う。
ものをつくる現場では、この静かなアラートを置き去りにした結果、歯車が合わなくなることがあります。
顧客が求めるものと、何かがズレている。
伝えたいことの文脈が、噛み合っていない。
本当にやりたかったことが、どこかに見えなくなっている。
そういったズレに気づくのは、たいてい時間が経ってからです。
この、言葉にならない違和感やひっかかりを、置き去りにしない姿勢。それは、「デザイン思考」と呼ばれる考え方に近いのかもしれません。
ただ、それは正解を早く出すための方法や、選択を間違えないためのテクニックではありません。
些細な心のひっかかりを、気のせいだと決めつけない。簡単に見逃さない。
人や物事に対する、静かな向き合い方です。
それは単なる思考法ではなく、人に寄り添うひとつの姿勢なのだと思います。
すぐに答えを出せない理由は、いつも言葉になる前にある。
あなたの中でまだ言葉になっていない答えは眠っていませんか?